“子どものため”という大人のエゴ

ぼくは高校生のとき、指導者がいなかった

 

 

誰もバスケを教えてくれる人がいなかった

 

 

ぼくは高校生のときが1番伸びる時期だと思う

 

 

その時期に指導者がいなかったことは今でも辛い

 

 

そりゃあ「この人に教えてもらいたい」っていう理由で

 

 

学校選びをすれば、いい指導者に出会えるかもしれない

 

 

でも「そこまでしないとだめ?」って思う

 

 

これは甘えなのか? これは甘えなのでしょうか?

 

 

もしかしたら甘えなのかもしれません

 

 

ここでは“甘えではない”という前提で進めます

 

 

そうすると、子どもは指導者を選べない

 

 

ましてや、指導者がいないなんてふざけんなと思う

 

 

 

 

いや・・・、実際にはいたんですよね。

 

 

 

 

ただ、ぼくが高校に入学して3ヶ月で

 

 

バスケ部の顧問を辞めさせられてしまった

 

 

 

辞めさせたのは、バスケ部員の保護者。

 

 

 

誰にも聞かれてないけど勝手にその話を始めたいと思います。

 

 

 

その指導者はたしかに厳しかった

 

 

練習なんてもう鬼畜だった

 

 

鬼畜以外の何物でもなかった

 

 

「練習」のフリガナを書きなさいと言われたら

 

 

迷いなく「キチク」と書いていたと思う

 

 

いったいぜんたい何がそんなに鬼畜かと問われれば

 

 

シンプルに「しんどい」

 

 

コレだ。

 

 

それ以上でもそれ以下でもない

 

 

 

中学校を卒業したばかりで頭も体もちゃらんぽらんになっていたぼくには、その練習はきつかった

 

 

なんなら2年生3年生の先輩たちですら

 

 

今にもウンコ漏らしそうな顔をしていた気がする

 

 

いや、今思うと、あれ漏れてたんじゃね?と思う

 

 

 

まあ、そんな顧問の先生もぼくの入学と同じく

 

 

その春から着任してきた人だった

 

 

ぼくからしたら、高校に入学して初めからその環境

 

 

その練習だったのでそれが当たり前だったが、

 

 

2年生3年生の先輩たちからしたら

 

 

それまでの環境、それまでのやり方とまったく違う

 

 

だから抵抗もあっただろうし、おもしろくなかったと思う

 

 

 

そして、この2年生3年生の保護者たち(なかには1年生の保護者も少しはいたかも)が

 

 

その指導者をバスケ部から外してしまったのだ

 

 

 

理由は、“子どもたちのため”。

 

 

え?

 

 

“子どもたちのため”?

 

 

ん?

 

 

 

 

その保護者たちの子どもはほぼバスケ部を辞めた

 

 

たしかにその保護者たちは自分の子どもを守ったのかもしれない

 

 

親として素晴らしい行動だと思う

 

 

変に、「あんたが悪いんでしょ」とか

 

 

「我慢しなさい」とか言う親よりは

 

 

20000倍もマシだと思う

 

 

ただ、“残されたぼくたちのこと”を考えたことがありありましたかって思う。

 

 

 

それからぼくはほんまに辛かった

 

 

正直、今でもそういう環境にした大人を憎んでいる

 

 

高校バスケで指導者がいない

 

 

バスケを教えてくれる人がいない

 

 

そういう環境になった理由は“子どもたちのため”。

 

 

 

ふざけんなよ

 

 

 

こういう“子どもたちのため”とかいう

 

 

“大人のエゴ”って少なくないと思う

 

 

被害を受けるのはいつも子ども

 

 

先生も指導者だけど、親も指導者。