指導者の言葉

“指導者の言葉”にはすごい力がある。

 

 

※この「すごい」という言葉で表現する自分のボキャ貧さには

 

逆に伸びしろしかないのではと思ってしまう自分が恐ろしい

 

 

ぼくが中学3年生のとき、おそらく少し気になっただけであろう

 

 

指導者のよくあるアドバイスが、

 

 

その後のぼくのバスケ人生に大きな影響を与えた

 

 

それは、

 

 

 

「上田、こうやって打ってみろ」

 

 

 

である。

 

 

 

え?????

 

は????

 

ナニソレ?????

 

ほんにゃらぷにゃぺ????

 

なーちゃーちゃぱーたちーす????

 

 

 

って感じた人も少なからずいると思う

 

 

こういうときって、なんか“熱い言葉”であってほしい

 

 

後から、「あのときの先生の“熱い言葉”で救われました」とか言いたい

 

 

それが、

 

 

まじでマジでMAJIで、こんな感じの“冷めた”言葉かけだった

 

 

 

でも、

 

 

 

このアドバイスその後のぼくのバスケ人生を創った

 

 

 

 

そのとき(休憩中だったと思う)、

 

 

ぼくはスリーポイントシュートの練習をしていた(※以下、3Pシュート)

 

 

いや、練習なんていう感じではなく

 

 

ただなんとなく打ってるだけという感じ

 

 

言うなれば、お遊び感覚

 

 

 

そこに通りかかった女子バスケ部の指導者

 

 

「上田、こうやって打ってみろ」

 

 

と言った

 

 

 

そう、そのアドバイスをくれたのは

 

 

男子バスケ部の指導者(ぼくの顧問)ではなく

 

女バスの指導者だったんだけど

 

 

正直、そのとき「だるっ」って思った気がする

 

 

女バスの先生はコワイ人だったので、あまり好きじゃなかった

 

 

でも、コワイからその先生の言う通りにした

 

 

そうしたら、

 

 

「違う違う、もっとこうだ」

 

 

という感じに、どんどんどんどんどんどんどんどんアドバイスをしてくれた

 

 

いや、まだ「どん」が足りないかもしれない

 

 

 

「あれ? 意外に優しい?」と、そのときたしかにそう思った

 

 

そうやって、思いの外、丁寧に教えてくれたこともあり

 

 

 

それから毎日、

 

 

“意識して”3Pシュートを練習するようになった

 

 

その先生に「ちゃんと言われたこと守って練習してますよ!」という意思表示と

 

 

シンプルに、丁寧に教えてくれたことが嬉しかったから

 

 

それまで、ぼくに“武器”というものはなかった

 

 

強いていえば、ディフェンスくらい

 

 

でもやっぱ中学生だったからオフェンスで目立ちたい

 

 

 

そんなぼくに“3Pシュート”という

 

 

“可能性”をその先生は見出してくれた

 

 

 

なにか吹っ切れたというか

 

 

“迷い”がなくなった

 

 

“なんとなく”という感覚がなくなった

 

 

3Pシュート

 

 

極めようと思った

 

 

目標ができた

 

 

そのあたりから、ぼくは男子1人で朝練をするようになった

 

 

女子は毎日やっていたので、その先生に頼み込んで

 

 

体育館の半分をぼく1人のためだけに空けてもらった

 

 

そうやって“意識して”練習していくうちに

 

 

当たり前だが、少しずつ3Pシュートが入るようになった

 

 

そうすると、それが自信になり、もっともっと練習するようになった

 

 

高校2年生のときには、

 

 

コンスタントに10本中8本は3Pシュートが入るようになっていた

 

 

それに、何よりも3Pシュートがうまくなっただけではない

 

 

このことによっていろんな相乗効果が起きた

 

 

態度だったり、行動だったり、考え方だったり

 

 

人間として生まれ変わったといっても過言ではないほどだと思う

 

 

 

 

 

「上田、こうやって打ってみろ」

 

 

 

 

この“言葉”で、ぼくのバスケ人生が2万と720度変わった。

 

 

 

 

 

“指導者の言葉”ってすごい

子どもは指導者を選べない

 

 

子どもにとって“指導者”って本当にほんとうにホントウに大切な存在

 

“指導者”次第で、その子の人生がガラリと変わる

 

いや、「ガラリ」なんていう言葉では表せれないほどに変わる

 

だから、“指導者”には、自分がそれだけ影響力のある人だという

 

「やりがい」も「誇り」も持っていてほしい

 

指導者なんてインフルエンサーみたいなもんだ

 

もはや“芸能人”といってもいい

 

職種を“芸能人”にすればいい

 

 

指導者はそれほど大きい影響力を持つんだから、

 

「自分と出会わなければ、目の前の子は人生を損していただろう」と

 

おごり高ぶっていいと思う。調子をこいてもいいと思う。なんなら屁だってこいていいと思う。

 

 

その代わり!

 

その代わりに、目の前の子の可能性を引き出してあげてほしい

 

その引き出した可能性を伸ばしてあげてほしい

 

子どもは自分自身ではその可能性を引き出せないし

 

むしろ、自分の可能性(才能)を否定し、自らつぶしてしまうことだってある

 

子どもに“指導者”は絶対に必要だ

 

 

でも、子どもは“指導者”を選べない

 

そして、大人になるまでにそれほど多くの指導者に出会うこともない

 

子どもは、数少ない指導者との出会いのなかで影響を受け、大人になる

 

そう思うと

 

子どもにとって、たまたま出会う“指導者”の存在がどれだけ大切か分かると思う

 

 

もう一度言う。

 

 

子どもは“指導者”を選べない

 

やる気ない指導者みんなやめてほしい

 

なんとなく指導してる指導者みんなやめてほしい

 

でも一方で、指導者って

 

なんかもっと待遇よくてもいいと思う

 

指導者が指導者として本気になれる環境があればいいなあ

 

でも、その環境というか、待遇にだけ目を向ける

 

指導者の皮をかぶるやる気のない指導者はどっか行けばいい。

その練習って意味あんの?

 

何のための練習をしているのか

 

 

これはちゃんと考えてほしいし

 

練習の意義をちゃんと意識してほしい

 

 

ぼくが高校生の頃、“17本ダッシュ”という

 

タンスに小指をぶつけるよりも

 

フォークダンスで女の子が手を繋いでくれないよりも

 

よっぽどしんどい練習メニューがあった

 

 

コートのサイドラインからサイドラインを

 

1分間で8往復半ダッシュする

 

これを5セットしていた

 

 

この練習メニューが終わればものすごい達成感があったし

 

この練習をしていれば“強くなる”と無意識に思っていた

 

しんどいことをやっていれば“強くなる”と思い込んでいた

 

 

でも

 

 

それって本当か?

 

 

答えは「NO」だと思う

 

 

しんどいことをすれば“強くなる”わけではない

 

確かに“強い”チームはしんどい練習をしていると思う

 

でも、しんどい練習をすれば“強くなる”のは違う

 

 

ぼくは、17本ダッシュみたいなしんどい練習メニューが

 

嫌いだから否定しているわけじゃない

 

(※確かにこの世からなくなってほしいと思っているけど)

 

 

 

これは練習メニュー全般に言えることだけど...

 

例えば、しんどい練習メニューが何のためにあるのか考えてほしい

 

「体力をつけるためだ」「精神力を鍛えるためだ」

 

確かにその通り

 

 

じゃあ、そのランメニューで追い込んだ後

 

次の練習メニューでは何の練習をしているのか

 

ちゃんと意識したことがあるかっていう話

 

 

ぼくが高校生の頃は全く意識していなかった

 

そんなことを意識するどころか

 

鼻クソすらほじっていたかもしれない

 

 

例えば...

 

 

ランメニューが終わった後は

 

「足がパンパンに張る」

 

という状態を考慮して

 

試合後半を想定した練習メニューや

 

「達成感がある」

 

という状態を逆手にとって

 

もう一度ランメニューをやるとか(※鬼畜だけど)

 

 

何のための練習をしているか

 

なんとなく、漠然と、曖昧と、ではなく

 

 

ちゃんと考えてほしいし

 

ちゃんと意識してほしい

自分は頑張っているのに自分以外は頑張ってない

 

 

「なんで誰も頑張れへんの」

 

 

そんなふうに思う時期がなんどもあった

 

自分が1番がんばってるのに

 

自分が1番辛い思いしてるのに

 

なんで、誰もがんばらないのか

 

 

これは、高校のとき、自分が選手をしながら

同時に監督の役割もしていたときによく思っていた

 

 

実際に、練習量や精神的なしんどさで言えば

ぼくが1番がんばっていたように思う

 

これは、部活を引退してから今もみんなが認めてくれる事実

 

 

 

ただ、今になって思うことは

 

”みんなと、そして1人1人ともっと話をしたらよかった”

 

ということ

 

”もっとみんなのことを理解しようとしたらよかった”

 

ということ。

 

 

そもそも、自分以外のメンバーもその人なりに頑張っていたのかもしれないし、

 

自分が感じたように、本当に頑張っていなかったのかもしれない

 

ただ、自分が一方的に「誰も頑張っていない」と

 

決めつけていたことはまぎれもない事実

 

 

 

ここでの教訓は

 

 

「メンバーのことを理解しようとする」こと.

 

 

 

こんなこと当たり前のことだと思うかもしれないけど

 

自分が頑張っていれば頑張っているほど

 

メンバーにも“それ”を求めてしまいがちになる

 

 

自分の価値観・考えも大事にしてほしい

 

でも、あなたがメンバーの「頑張らないという」気持ちが分からないように

 

メンバーもあなたの気持ちは分からない。

 

 

自分の気持ちを分かってほしいなら

 

まず、自分からメンバーの気持ちを分かろうとする努力をしてみてほしい

 

 

正直、この努力はバスケットボールのときにする努力よりも大事だとぼくは思う

 

 

直接、理解しようとしなくていい

 

メンバーの好きな音楽だったり、漫画だったり

 

メンバーの好きなモノを知っていくことから始めたりすればいい

 

メンバー1人1人のことをもっと知る。

 

 

そうすればメンバーは本当に頑張っていないのか

 

頑張っていないとしたらその理由は何か

 

そこでやっと分かるようになると思う

 

 

 

当時のぼくにはできなかったことです。

 

意外な意識・考えのズレがあるかもしれません。

誰だか知らないと思うけど、ブログ始めるってよ

ブログを始める

 

 

このブログでは、“バスケットボール”を題材にして書く

 

今まで中学・高校のときは選手として

 

大学のときは小学生・中学生の指導者として

 

バスケットボールに携わってきた

 

 

バスケットボールを通して、

技術以上に、”心が成長できた”と思う。

 

 

バスケットボールに携わってきて

感じたこと、気づいたこと、学んだことは計り知れない

 

 

そんな気づきや学びをブログで発信していきたいと思う

 

 

コレは 、

 

 

バスケットボールを今やっている小学生・中学生・高校生の子どもたち

 

指導者

 

そして、子どもがバスケットボールをしているという保護者の人

 

 

自分の知っていることが、“その人たち”にとって何か役に立てばこの上ない

 

 

 

 

 

あと、たまに

 

自分が観た映画や、読んだ本について

 

感想や、気づいたこと学んだことを

 

書いたりもすると思う。

 

 

 

 

よろしくお願いします。

 

 

 

【プロフィール】

兵庫県出身

身長170センチ

ポジション:ポイントガード

バスケットボールは中学1年生から始める

高校では、選手 兼 監督を務める

中学・高校でキャプテン

大学では、小学生・中学生に指導

今は、社会人@東京